第1次AIブームの始まりと終わり│迷路の解き方・ELIZAの時代

1960年代。未知の技術領域としてAIが注目され始めました。

これが第1次AIブームの幕開けとなります。

以降、誰でもAIを使えるまでには数十年の年月を経ることになるのですが、世間の期待を背負い、当時の研究者達はどのように研究してきたのか?近年のAIの礎となる第1次AIブームは、どのように始まりどのように収束したのか?

早速、この記事で第1次AIブームの時代へタイムトラベルしてみましょう。

目次

第1次AIブームの時代背景

下記はジェネレーティブAIで生成したイメージです。必ずしも正確な画像ではありません。

第1次AIブームをご覧いただく前に、1960年代という時代を感じてみましょう。AIブームは、どのような世界情勢人類の技術力と共生したのか。

この章で、主要なトピックの要点を紹介します。

アメリカとソビエト連邦の冷戦

1960年代は、アメリカとソビエト連邦が超大国としての地位を確立し、冷戦という政治的緊張状態が世界を席巻していました。核兵器の開発競争や宇宙開発競争は、科学技術の進化と緊張の時代の象徴でした。

キューバ危機

1962年、アメリカがソビエト連邦のキューバへの核ミサイル配備を発見。世界は核戦争の危機に瀕しました。結果的に、外交交渉により事態は収束しましたが、その緊迫感は世界中の人々の記憶に残っています。

日本の高度経済成長

戦後の復興から、日本は驚異的な速さで経済成長を遂げました。1960年代には、日本の製造業、特に家電産業が世界的に注目され、多くの革新的な製品が生まれました。

SONYのトランジスタラジオや、初の家庭用カラーテレビなどが、この時代の日本の技術革新の象徴として挙げられます。

アポロ11号の人類初の月面着陸

1969年、アメリカのアポロ11号が人類史上初めて月面に着陸。この歴史的な瞬間は、テレビ中継で全世界の人々に伝えられました。

宇宙開発の競争は冷戦の一部として行われていましたが、この成功は技術の進歩と人類の可能性を強く印象付けました。

初の商用コンピューターの登場

下記はジェネレーティブAIで生成したイメージです。必ずしも正確な画像ではありません。

この章では、第1次AIブームの幕開けとなる商用コンピューターの登場について説明します。

これまで、そろばん等のローテクな道具を使って計算をすることが一般的であった時代。圧倒的なスピードで正確に計算を行うコンピューターに、人々は多くの期待を抱きました。

IBM製メインフレーム

1960年代のIBMは、その圧倒的な技術力と製品力で、メインフレームコンピューターのリーダーとしての地位を築き上げました。

代表的なモデルとして「System/360」が挙げられます。このシリーズは、多様なモデルと豊富なオプションが特徴で、ユーザーの要件に合わせて選択・拡張することができました。性能面でも、当時としては驚異的な処理能力を持っており、大量のデータを効率よく扱うことができました。

なお、日本国内でも富士通や日本電気、日立などの企業が自社開発のメインフレームを発表しました。

大企業への導入

IBMのメインフレームが多くの大企業に導入されるようになった背景には、その高性能やカスタマイズ性が大きく関係していました。

特に銀行や保険、製造業などは、大量のデータを迅速かつ正確に処理するニーズがあったのです。メインフレームの導入によって、これまで手作業で行っていた多くの業務が自動化され、劇的な効率化が図られました。

当時のコンピュータは、今日のようにインターネットに接続されているわけではなかったものの、内部ネットワークを使用して部門間のデータの共有や集約が行われていました。

このような大規模な導入と活用は、ビジネスのIT化とともに、第1次AIブームへの道を開いたのです。

パソコンについて

「パソコン」は「パーソナルコンピューター」を短縮した言葉で、個人が日常的に利用するコンピューターを指します。

この時代、コンピュータはまだ一般家庭には普及しておらず、日常的に使われる「パソコン」の時代の到来は、まだ数十年先のことでした。

第1次AIブーム:推論と探索

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商用コンピューターが一部の大企業で導入されるようになり、より広範囲な業務や分野で活用されるであろう「AI」に対する世間の期待が高まりました。実際に、AIの研究が盛んになり、さまざまなAIの開発が行われたのです。

この章では、第1次AIブームの中心的な技術である推論と探索について、説明します。

推論と探索のアルゴリズム

1960年代のAI研究の根幹をなしていたのは、人間の推論能力をコンピューターで模倣する試みです。

研究者たちは、既知の情報から新しい情報や結論を導き出す「推論」と、問題の解を探し出す「探索」に焦点を当てていました。当時のコンピュータは、まさに「選択肢をしらみ潰しに」評価する方法、つまり、すべての可能性を網羅的に調べ上げるブルートフォースの手法を主に採用していました。

例として、チェスのゲームでの手を一つ一つ計算し、最善の手を見つける試みが行われていました。しかしこれは、計算速度やメモリの限界から、複雑な実務での活用には程遠いレベルだったのです。

迷路の解き方

迷路の問題は、AIの探索能力の有効性を示す典型的な例として用いられました。

初期のAI研究者たちは、迷路の全経路を詳細に評価することで、最短ルートや解の存在を明らかにしようとしました。これは、迷路の各分岐点で全ての方向に探索を進め、ゴールに到達するまでの経路を特定する方法です。

しかし、この方法は非常に時間がかかる上に、大規模な迷路には適用が難しい側面がありました。このような背景から、より効率的な探索のアルゴリズムや手法開発の必要性が浮き彫りになったのです。

推論と探索の限界

当時のAIの推論と探索の技術は、単純な問題に対しては一定の成果を上げることができました。たとえば、小規模な迷路やシンプルなルールを持つゲームなどでの振る舞いは、AIによって適切に解かれることもありました。

しかし、現実の問題は多くの場合、非常に複雑であり、これらの初期のアルゴリズムで対処するのは困難でした。

特に、現実的な規模の問題に対して「選択肢をしらみ潰しに」評価するアプローチを取ると、考慮しなければならない選択肢が膨大となり、計算時間や必要なメモリが急激に増大します。当時のコンピュータのハードウェアは、現在のものと比較しても非常に制約が多かったため、これが大きな課題となったのです。

結果として、初期のAI技術は、シンプルな問題に対しては高いパフォーマンスを発揮するものの、現実世界の複雑な問題解決にはまだ適していないという認識が広がりました。

第1次AIブーム:ELIZA(イライザ)

下記はジェネレーティブAIで生成したイメージです。必ずしも正確な画像ではありません。

第1次AIブームの中心的な成果のひとつが、対話型AIの草分けともいえるELIZA(イライザ)でした。このシステムは、人間との自然言語での対話を模倣することを目指し、多くの人々を驚かせました。

この章では、ELIZAの背景、アルゴリズム、実活用、そして限界について解説します。

対話型AIへの挑戦

対話型AIは、人間と自然言語での対話を行うことを目的としたAIシステムのことです。これにはテキストベースのものから、音声認識を取り入れたものまで幅広い技術が含まれます。(ELIZAはテキストベースのみ)

第1次AIブームの時代、このような対話型AIの開発は、機械が人間のように考え、感じ、そして対話する未来のビジョンを人々に抱かせました。

ELIZAのアルゴリズム

ELIZAは、1964年から1966年にMITでジョセフ・ワイゼンバウムによって開発されました。

このシステムは、特定のキーワードを認識し、それに基づいて事前に設定されたスクリプトを利用して返答するというシンプルなアルゴリズムを採用していました。最も有名なスクリプトは「DOCTOR」で、心理療法士のような対話を模倣するものでした。

ユーザーが「私は悲しい」と言うと、ELIZAは「あなたが悲しいと感じる理由は何ですか?」といった形で応答するのです。

ELIZAの実活用

ELIZAの「DOCTOR」スクリプトは、疑似的な心理療法のセッションとして実際に使用されました。

驚くことに、多くのユーザーはELIZAとの対話を真剣に受け取り、機械と分かっていても感情的な反応を示すことがあったそうです。このことは、ELIZAの「感情のない」反応が、逆に受け手に深い自己省察の機会を提供したとも解釈されています。

ELIZAの限界

ELIZAは、非常に革命的であったとはいえ、多くの限界も持っていました。

そのアルゴリズムはキーワードベースであり、真の意味での理解や対応力を持っていませんでした。より複雑な質問や、スクリプトの範囲外のトピックには適切に応答できなかったのです。

また、一貫した「個性」や「感情」を持つこともできず、繰り返し同じ質問をすると、同じ答えを返すなどの機械的な反応が目立ちました。(ランダム性のないAI)


対話型AIの実用化

人類が初期に開発したELIZAは挑戦的な取り組みではあったものの、実用化には至りませんでした。

それから60年弱の年月を経た現在、ついにChatGPTによって対話型AIの実用化が実現するのです。

第1次AIブームの終わり

第1次AIブームは、商用コンピューターの台頭とともに大きな期待を背負い、研究が進められました。未知の可能性を切り開いた時代ではありましたが、AIの実用化は実現することなく、ブームは収束に向かうのです。

期待と失望

初期のAI研究者たちは、人間の思考を模倣する機械の実現を真摯に追求していました。

そして一時期は、ELIZAのようなシステムを通じて、AIが人間のように対話や思考を行うことが可能であるとの期待が膨らみました。しかし、AIが複雑な問題解決や人間のような一貫した理解を持つことの難しさが次第に明らかとなるにつれ、初期の高まった期待から失望へと移行していきました。

AIは冬の時代へ

1970年代後半には、AI研究の資金調達が難しくなり、多くの研究プロジェクトが打ち切られる状況となりました。技術的な限界や、それまでの進展に比べて目立った成果が得られないことから、「AIの冬の時代」という期間が訪れることとなります。

この時期は研究の停滞や興味の低下が続く一方、それを乗り越えるための新しい手法やアイディアの種がまかれることとなるのです。

そして、1980年代、第2次AIブームが訪れます。

あとがき

第1次AIブームはこのように始まり、人々の期待に応えることなく収束しました。研究が停滞する中、AIの冬の時代に突入しますが、人類の飽くなき探求心は水面下で途絶えることはありませんでした。

それからAIが実用化するまでに60年弱の年月を要しますが、当時の研究者たちの成果は後の世代へ引き継がれたのです。

なにかを成し遂げたいとき、行動力と情熱は欠かせない要素であり、失敗は成功を構成する要素です。

当サイトも[大きな目標]と[成し遂げたいこと]を持っていますので、AIの歴史には感慨深いものがあります。

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